こんにちは、わちログ(@wachilog)です。
総武線と聞いてみなさん、どんな駅やどんな車体を思い浮かべるでしょうか?
中央線沿線に住んでいる方は、黄色いラインの入った車体が。
千葉方面に住んでいる方は、黄色いラインの車体もブルーのラインの車体もイメージするのではないでしょうか?
といった疑問を調べたので解説していきたいと思いますよ!
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三鷹発は中央・総武線(総武緩行線)、東京駅発は総武線快速/総武本線です
早速答えをまとめると以下!
名称 | 中央・総武線 (総武緩行線) |
総武線快速 | 総武本線 |
---|---|---|---|
車体 | |||
始発駅 | 三鷹 | 東京 | 東京 |
経由駅 | 御茶ノ水、錦糸町 | 錦糸町 | 錦糸町、千葉 |
終着駅 | 千葉 | 千葉 | 銚子 |
中央・総武線(総武緩行線)は三鷹〜御茶ノ水までが中央線本線、御茶ノ水〜千葉が総武本線
まず中央・総武線(総武線緩行線)から。
中央・総武線は三鷹〜千葉駅間を走る各駅停車。
「中央・総武線」と2つの路線名が続いていますが、これは三鷹〜御茶ノ水までが中央本線、御茶ノ水〜千葉までが総武線のためです。
御茶ノ水〜錦糸町駅の間は総武本線支線と呼ばれているようです。
本線から分かれた線路のことです
総武線快速と総武本線は何が違う?
さて、続いて総武線快速と総武本線について。
総武線快速と呼ばれる区間は東京駅〜千葉駅。
総武本線と呼ばれる区間は東京駅〜銚子駅。
ですが、案内板などは千葉〜銚子間を総武本線と記載しています。
銚子電鉄や日本一日の出の早い、犬吠埼があるところでも有名です。
なんでこんな沿線になった?現在の総武線に至る歴史をざざっと解説!
総武線は1889年に設立された「総武鉄道株式会社」が前身になります。
最初は市川駅〜佐倉駅間が開通し、徐々に延伸されて今の形になっています。
(細かいところは端折っているのご了承ください)
▼地図中の番号が開業した区間の順番です
年 | 出来事 |
---|---|
1889年 | 総武鉄道株式会社設立 |
1894年 | 7月:市川〜佐倉間開通(1) 12月:錦糸町まで延伸(2) |
1897年 | 銚子まで延伸(3) |
〜1904年 | 両国橋(現在の両国駅)まで延伸(4) |
1923年 | 関東大震災 |
1932年 | 両国橋〜御茶ノ水間開通(5) |
1933年 | 御茶ノ水〜中野間開通(6) |
1964年 | 通勤五方面作戦プロジェクト発足 |
1969年 | 「中野ー三鷹」間の複々線化延伸完了 現在の中央・総武線に(7) |
1972年 | 「東京ー錦糸町」間の地下トンネル区間開通 現在の総武線快速に(8) |
総武線は明治10年後半におきた民営鉄道建設ブームを受け、1889年に総武鉄道株式会社が設立されたことが発足になります。
当時の千葉県に当たる「上総国」「下総(しもうさ)国」と「武蔵国」を繋ぐということから、「総武線」という名称になりました。
1894年に市川〜佐倉間が開通したのを皮切りに、1904年までには「錦糸町」、「両国橋」まで延伸されました。
関東大震災前までは、総武線は両国駅がターミナル駅でした。
当時は隅田川を渡る東京市電(路面電車)に乗車する人が多いため、これを緩和する為に御茶ノ水、中野まで延伸を計画したようです。
▼両国駅の場所はここ!
関東大震災を挟み1932年には御茶ノ水〜両国間、翌1933年に御茶ノ水〜中野間が開通しています。
第2時世界大戦後
戦後の1964年には、首都圏の輸送量増強を目的にした「通勤五方面作戦」というプロジェクトが発足。
総武本線の「東京-千葉」の地下新線の開通、中央本線の「中野ー三鷹」の複々線化の延伸が計画されます。
1969年に「中野ー三鷹」間の複々線化延伸が完了。
現在の中央・総武線になります。
1972年に「東京ー錦糸町」の地下トンネル区間が開通し、同時に津田沼まで複々線化も実現しました。
ここで現在の「総武線快速」が開業したことになります。
まとめ
以上、総武線について色々とまとめてみました!
歴史を見ると徐々に開通していったのがわかって面白いですね。
名称 | 中央・総武線 (総武緩行線) |
総武線快速 | 総武本線 |
---|---|---|---|
車体 | |||
始発駅 | 三鷹 | 東京 | 東京 |
経由駅 | 御茶ノ水、錦糸町 | 錦糸町 | 錦糸町、千葉 |
終着駅 | 千葉 | 千葉 | 銚子 |